2013-01-01から1年間の記事一覧
忘れたことは忘れたままにしておいたほうが、幸せなこともあるだろうが、 その幸せは、かみ締めることができない。
高齢者が、 バスの優先席に抵抗感があっても、 映画の割引には抵抗感がないのは、 分からないでもない。
注意されているうちは期待されているのかもしれないが、 注意している側からすれば、それはギャンブルに近い。
目に入れていいものと、入れてはいけないものがあるが、 勝手に飛び込んでくるものは、どうにもしようがない。
敵味方の批判的立場はどうであれ、 マスコミはスポーツで言うところの、 最後にしか出てこないプレイヤーなのだろう。
眠りたくない夜がある。 起きたくない朝だってある。
本当に忘れるということは、 忘れていることにさえ気がついていない。
努力は実らないなら、 ただの苦労に意味を変えるから、 無理やりにでも成果を見つかるか、 見切りをつけないといけない。
不意に訪れた沈黙は楽しめ。
気休めにしかならないことに気がついていないなら、 気休めにすらならない。
どんなに辛くとも、今ここにとどまり続ける。 その上で、踏み出す次の一歩は、自分で決める。 自分で決めた一歩だから、今ここにとどまることができるんだ。
辞めて責任を取ることは、責任放棄に見えて仕方がない。
空気を読む前に、同じ空気を吸っているか。 違う空気を吸っているのなら、読む空気も違うだろうよ。
台風も美少女で擬人化すると、かわいらしく思えるかもしれない。
「空気を読め」と言われて、 「空気は吸うもの」と返す奴は、 ある意味、空気が読めている。
本気になるというのは、泥臭くて、がむしゃらで、どこかバカになっているものだ。 スマートに、疲れることもない本気などない。
期待は、していた分だけ落胆が大きくなるが、 気がつかないと、その分苛立ちが大きくなる。
「今出ました」という蕎麦屋の出前は、 むかつくけど、嫌いではない。
人は、何も持たないで死んでいくが、 恥だけは、残しては逝けないらしい。
子どもたちに渡す地球はちゃんと丸いのか、へこんでいるところはないか? クレーターばかりの地球はいらない。
10年後、20年後笑っている自信がなくても、 明日なら笑ってやる自信はある。 それがカラ元気でも、笑ってやれ。
「またね」でもなく、 「バイバイ」でもなく、 「お疲れ」でもなく、 「さよなら」を口にするのは、それなりの覚悟がいる。
今ここにあるメッセージは、いつも何度も書き直されて、 言葉にできなかったメッセージも含まれている。
回り道をしないとたどり着けないゴールがある。
僕らは「本当に好きなことができる」ことと、 「本当に好きなことしかできない」ことの狭間でいつも揺れている。
子どもだから、バカをやるのではない。 バカをやるから、子どもなのである。
考えていても、どこか悩み、 悩んでいても、どこか考える。 悩まないで、考える人はいないし、 考えないで、悩む人もいない。
やってはいけないことを教えても、 やっていいことは、教えていない。 教えるべきははっきりしてないか?
これは現実逃避ではない。 戦略的休息と呼んでくれ。
消去法になった選挙に勝者などいない。