目を開いて見る夢だけが叶えることができる
誰でもよかったことが、たまたま自分だっただけ。 その現実を、たまたまで終わらせるか。 潔く引き受けるか。
お互いに正しいと思っていることをやって、 どうしても争うのが、人の性。
国や宗教で、 シンパシーを覚えているうちは、 本当の出会いはない。
仕事の仕方も、 休日の過ごし方も、 人との付き合い方も、 ほかの誰でもない、 自分の変えることのできない生き方。
好きになった理由は説明できても、 好きになった瞬間は言葉にできない。
「これで最後」であっても、 「最後の最後で」という奴が付きまとっている。
「この世はもう十分に満喫したから、あの世に行ってくるよ」 例えば、そんな終わり方もいいな
うまくやらないといけない。 そう思っているうちは、まだまだ失敗する。 うまくやれていることほど、 失敗しても、案外どうにかなっている。
坂道は、 上った分だけ下り坂。 下がった分だけ上り坂。 人生も多分そんなもん。
本人を前にすれば、 「気持ちはわかる」と諭しておきながら、 本人がいなければ、 「何がやりたい?」と批判を繰り返す。 ここに、人間関係の面倒臭さがある。
いつでもいいってのは、 やらなくてもいいってことでいいか?
もう少し空気が読めなかったら、こんなにも悩まずに楽に生きられるのかもしれない。
新しいことに挑むのだから 反省はしても、後悔はしない覚悟をする。
楽になるために、無理をしているうちは、楽にならない。
始めるときにエネルギーがいるように、 終えるときにもエネルギーが必要なことがある。
好きになった理由は要らなくても、 嫌いになった理由は要るだろうよ。
今日、ランチをどうするか、悩むのと、 明日、どう生きるのかのか、悩むのと、 昨日、何を食べたか思い出せないのと、 多分、悩みとしては大差がないわけで。
理不尽なことは、子供の時のほうが多かった。 理不尽なことを言葉でまだ言えなかったから。 理不尽なことを聞いてくれる大人もいなかったから。
それが茨の道とわかっても、それしか選べない。 そんなあなたの生き方だから、私はただ切ない。
不幸は不意に起こるもの。 幸福は自分で作っていくもの。
健全なあきらめとは、 目指していたことが間違っていたと気が付くことであり、 そうしないと生きてはいけなかったことでもあり、 ありのままを受け入れることでもある。
行く当てもないのに、どこかへ行く奴がいる。 行く当てもないから、どこかへ行く奴がいる。 この人生の行く当ては、一体どこだろうね?
8月に夏休みはあっても、 祝日がないことは知られていないと思うんだ。
「独断と偏見」なんて言葉を使っておきながら、 本当に自分だけの価値観なのか考えてみたことはあるかい?
言ってはいけない言葉を持て、 言われてはいけない言葉を持て、 言わせてはいけない言葉を持て。
梅雨時の天気予報は、 「降水確率50% 曇り」で、済まされている気がする。
教わったことより、勝手に学んできたことのほうが多い。
救いの神様はいなくても、 救ってくれる家族だったり、友だちだったりはいる。 それは、ごくまれに見知らぬ他人だったりする。
やりたいことのために、 やりたくないことも頑張れる奴と、 やりたいことしかできないから、 やりたくないことはやらない奴がいる。