表現の自由があるのなら、 その表現を、 聞かない自由も、見ない自由だってある。
髪を切ったくらいで何が変わるわけでもない。 でも、その気になることは、案外意味がある。 自分にしか分からないことだけど。
「さよなら」と今日の自分に別れを告げる。 「おはよう」と今日の自分に期待を込める。
五月病になれるくらい社会に余裕がほしいな。
どうせ拾うなら、骨以外で頼むよ。 お願いだから。
ネットにあがった内容を、 安易にマスコミが取り上げていることに違和感がある。
「How to」だけを教えることはそんなに難しくない。 「How」を「to」へ導くことはそんなに簡単じゃない。
責任の所在のために押し付けられた責任が、本当の責任の所在をぼかす。
国家が無いほうが、国際的な問題が解決するように思える。
先取りして、アドバイスすることがすべてなわけじゃない。 本当に困ったときに、振り返らせることも必要だ。
急いで答えを出すより、考え続ける余裕が必要だ。
どうしていいか分からないときほど、 いつもやっていることを大切にする。
税金を払うことに誇りを持てる政治を。
最初から貴方でなければならない理由はない。 最後に、貴方でよかったという出会いはある。
もっとやれることはあったのかもしれない。 それでも、それしかできなかったこともある。 それが悔しいから、前に進める。
仰向けに寝転んでみたら、空に包まれる。 そんな場所が屋上。
私の何気ない一言に、貴方が捕らわれることもあるだろう。 貴方の何気ない一言に、私が捕らわれることもあるだろう。 私の何気ない一言に、貴方が救われることもあるだろう。 貴方の何気ない一言に、私が救われることもあるだろう。
東北で、一度でも国会を開いて欲しい。
自分にはできない仕事が、他の誰でも良かったりするし、 自分のできる仕事が、他の誰にもできなかったりする。
つぶやきが、読み手の反応まで考えないといけないとしたら、 もはや、つぶやきでは在りえないだろうに。
チリも積もれば、やっぱりチリなのであって、 積もったものがチリではないなら、最初からチリではなかったのだよ。
大人にならないと分からないことがある。 子どもにしか分からないこともある。
我慢したことは、何かの拍子に爆発する。 我慢したつもりがなくとも、溜まっているもの。 そう簡単に忘れられるものじゃない。
あなたが隣にいなくても、 いつもと同じ歩幅にあなたを感じます。
泣きながら笑って、 笑いながら泣いて、 泣きながら怒って、 怒りながら泣いて、 笑いながら−−そんな繰り返し。
泣いたり、笑ったりすることが、 生きている意味でいいじゃない。
話せば分かるというのはただの幻想で、 話したからこそ分かり合えなかったことに気がつくこともあるだろうよ。 分かり合うというのはそんなに簡単じゃない。
季節を、四季ではなく、 イベントで感じているところがある。
誰にも分かってもらえないことをやらねばならいこともある。 悔しくとも、自分に胸をはれ。
追い詰められて、生み出されるものがある。 追い詰められて、発揮される力がある。 追い詰められることを前提にしてはいけない。 そこには追い詰められるまでの前提がある。